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印刷機に於けるインクタンク [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

2015-08-18 火曜日 
祖父箱木一郎関連記事
インクタンクに関する特許に対して、特許権侵害が起きてからの対応が茶封筒に電波新聞と一緒に保管されている。
興味深いことに、この特許権侵害事件が1969年に起こり、催告文を電波新聞の4ページ下段左に掲載し、その後1980年10月31日の実用新案公報(Y2)昭55-46511(日本国特許庁JP)には「印刷機に於けるインキタンク」の実用新案が掲載されている。そこには、実はいくつもの特許を取っていたという事実を死後聞いた叔父箱木克士の名前が考案者として記載されている。
 更に、昭和58年(1983年)11月25日金曜日の電波新聞の4ページには「実用新案権侵害に関する御注意」(実用新案登録 第1385954号)が実用新案権者日本曲面印刷機株式会社代表取締役箱木徹哉の名で再び掲載されているのである。

以下 資料

SSCN2847.JPG1) 電波新聞への広告(昭和44(1969)年8月27日)

催告

 当社は実用新案登録第843550号 名称「印刷機に於けるインキ・タンク」の実用新案権を有して居りますが(その権利範囲は末尾の記載の通り)、東京板橋方面に於ける某社から今までにこの権利を侵害する物品を購入し、使用されている業者があります。
 これは、実用新案法の侵害罪として3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処せられるものであり、且つ当社に対して民事上の損害賠償の責を負わなければならないものでありますから、御使用者はこの広告を御覧になると同時に、直ちに使用をお取り止め下さい。
 上記の通り催告致します。


    
実用新案登録第843550号の権利範囲



東京都世田谷区喜多見町〇〇〇〇番地
実用新案権者 日本曲面印刷機株式会社
代表取締役 箱木 一郎

 当社は この権利に係わる製品(電子部品カラーコード印刷機・円筒形パーツ印刷機等)を製造・販売して居ります。今後御使用の際は、当社宛ご照会を賜りますように併せて広告申上げます。


2)  その他手書き備忘録
 昭和44年(1969年)8月22日 
松田特許事務所訪問(克士氏同道)
① S氏(S製作所)当社特許(実用)侵害に対する特許法による手続き等の打ち合わせのため
② 明8月23日、M氏がS氏及びSに対して会見通知を内容証明で二通出す(8/27 14時~17時)
③ 当社としては電場新聞に広告を出す(内容別紙)
④ 細部は日誌メモにあり

SSCN2846.JPG8月23日(土)
以上の件を役員会を開き克士氏説明する。
 出席者 東洋男氏、徹哉氏、堀内氏、土屋氏

8月26日 M氏よりの連絡によると、S氏27日15時松田事務所にこられるとの連絡あった、とのこと。

8月27日 上記の件で、社内役員会を開きS氏に対する条件を松田先生に提示する打ち合わせ会議を開く。
堀内氏、銀行に行き不在なれ共内容の点本日   

昭和44年8月27日
当社が所有する実用新案権に対する侵害事件
1. 侵害者S製作所(S氏)に対して松田先生を代人として催告を行う(25日文書により通達別紙)(内容証明)
2. 8/27一般に催告文を電波新聞に掲載する
         (別紙 8/27新聞)  
3. 8/27 S製作所(S氏)と松田先生事務所にて会見する。事前にその要望事項に関して本日午前役員会議を開き決定す。
出席者 東洋男 克士 土屋
S氏に要望事項
1) 本日前に販売せる数量及び納入先のリストを提出願う
2) 現在製作中の納入先及び数量のリスト 〃
3) 今後は直接受注せず全部曲面に廻す」
4. 8/27 三時松田事務所にてS氏と会見す
  当社出席者 東洋男氏 克士氏 土屋 三人
1) S氏より詫證を提出す。
2) 契約覚書を取り交わす( 1)、2)、3)項の内容 )
5. 8/28 克士氏松田事務所に電話せるところ本日S氏に対し27日会見の折約束せる要望事項①②を文書にて回答を求める内容証明を出すとの」であったSSCN2845.JPG

1933年11月18日 新聞記事 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

1933年11月18日 名古屋
陶器に応用した曲面印刷法 名古屋の箱木氏の発明特許局の発明展で“特選”
 本社内にある中部発明互助会員、名古屋市東区芳野町二ノ六七箱木一郎氏発明の『曲面印刷方法』は目下特許局で開会中の特許局発明展覧会へ日本陶磁器輸出組合(名古屋)より出品して特選となり、しかも三大発明の一つを推奨された。
 同氏は東京高等工芸学校で多年研究の結果、この方法を発明し昭和三年七月二十七日特許登録となり本紙でも既に紹介したところであるが、この発明は従来の印刷が総て平面物体を対象としたものを立体物を対象にしたところに世界印刷史の一頁を飾るものがある。
 方法は凸版オフセット方法により金属製凸版にインクを付与し更にゴムの薄膜に印刷した対象物体に転刷するに当たり空気の圧力を利用して両面接着を行うものであるが、転写法とは全然別個のものである、この印刷機械は名古屋高等工業学校松良正一教授の設計並びに監督の下に製作、組立中であるが、同機は三十秒で六色刷となり、一時間に一台で一万個を印刷する能力をもつものであつてこれを需要の最も多い陶磁器印刷に応用し名古屋市の陶磁器業の有力者数氏の後援を得て名古屋市に工場を設け工業化すべく目下準備中である。
 同工場が完成すればさらに陶磁器の生産費を低下し陶磁器界に一新機軸をだすことにならう、なほ同立体印刷の理論は東京高等工芸学校伊藤亮次教授がドイツ学会雑誌に発表し世界学界に呼びかけることになつてゐる。



大阪毎日新聞 昭和八年十一月十八日陶磁器絵付けに画期的の大発明
遂に成った曲面印刷法 名古屋の箱木氏の誉れ
目下東京奨励館で開催中の特許局第一回発明展覧会に入選した十三の特選中三大発明として特許局から折紙をつけられたものの一つに名古屋東区芳野町箱木一郎氏の陶磁器曲面印刷法がある。
 曲面印刷法は従来家内工業的に転写紙によつてのみ可能とされてゐたものであるから、この発明は世界の曲面印刷界に大革命をもたらし陶磁器絵付の理想である機械化大量生産化を実現せしめ
わが国の大衆向陶磁器製造法に一大転換を招来するものとして非常なセンセーションを起してゐる、右につき箱木一郎氏は十七日名古屋陶磁器会館で語る
 発明の要点は凸版オフセットの応用でゴム幕に刷られたインキを被刷面に中間の空気を抜きとり転写するもので八年間の苦心をもつて六年前創案を完成、特許を得たもので今回ははからずも発明展に提出、三大発明と称せられるに至つたことは実に意外な喜びです
なほ同志の発明になる方法を実際機械化し製作を自らやつてゐる名古屋高工松良教授は
語る。
 ドイツ、フランス、オランダなど立派な製品を出す陶業国でもこの種の発明はまだない、大衆向陶磁器の製造界にとつては世界的の発明といつてよい、方法は簡単だが着想が面白いので機械を作つて見た、機械の製造費は約一万円だ、この機械によると一日中時間操作して一万枚を絵付することが出来る
さらに愛知発明協会では
 大変面白い発明です、問題は松良教授がいかなる能力の機械を作られるかこれを期待してゐる
といつてゐる、なほ箱木一郎氏は今年三十八歳、このほかにも三十余種の特許を持つ天成
の発明家で隠れたる後援者には日本陶磁器輸出組合伊藤理事などがあると(名古屋発)

東京洋酒新聞 【紹介欄】より「曲面印刷の発明と其応用」 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 今日紹介する記事は、祖父の作成して保管していたスクラップ帳の中の新聞記事。 

東京洋酒新聞 昭和4年7月20日(1929年)
【紹 介 欄】
曲面印刷の発明と其応用

―従来の「レーベル」の」代わりに直接瓶に色模様が印刷出来る―
 一体印刷技術は平面状をなす物体に模様付けを為すべく今日まで進歩発達の過程を辿って来てゐる事は衆知の事実である。然るに吾人の日々使用する器物は概ね立体状をなし、而も印刷模様を施さねばならぬ者が沢山にある。ところが印刷技術は平面物体に対して驚嘆す可程発達してゐるが、器物に対しては何等の施す術を有つてゐない。仕方なしに紙に印刷された模様を張付けて間に合わせてゐるが、器物の素材に依つては甚だそぐはないものが多い。即ち吾業界に最も必要なる瓶類の如く鉱物質の者に糊で紙を張付けたのでは、恰も竹に鉄棒を継いだのも同断である。此は当然鉱物質の素材に硝子の光沢と調和の取れる堅牢なる色模様を付与しなければならないと云ふ事は吾人のかねて希望する処であつた。
 ところが必要は発明の母とやら、茲に印刷方法の研究家箱木一郎氏が理論と体験の両面より「曲面体への印刷方法」を完成し、既に帝国特許第八〇〇四六号を初め十余件の権利を得、目下名古屋の日本陶器株式会社並に小倉の東洋陶器株式会社と協同して其応用化の具体的研究を進めつつある次第にて、吾々としては該方法を吾製瓶界にも適用し度く希ふ次第である。
 化粧水瓶の如く全々回収して反復使用せざる者と醸造界の如く頻繁に回収使用するものとは大分模様の強さを異にせざるべからずと思惟するのである。箱木氏には工学士坪井三郎氏とて旧橘硝子工場技師長と云ふ相談相手あり、吾々の希望条件は如何様にも研究される由、折角諸氏の御高見を披瀝して頂き度いものである。
 次に吾々の心配せざるを得ない点は、如何に優秀且経済的であつても登録商標を変へる事は到底出来得ぬ相談乍ら、模様の輪郭も色合もホボ現在のものと同様に仕上るとなれば充分考慮の余地が存するものと思ふ。
 完全に耐久模様が印刷出来れば醸造元は空瓶として市井にコロガツてゐる間にも宣伝が出来、殊に清涼水瓶の場合水に冷やかしても美的商標の*刹脱される事なく、需要者に満足を与え得る事と思ふ。又自社の瓶を完全に回収し得る便宜をも得られよう。
 *「剥脱」か
 次に印刷費の問題であるが、該方法に適合する絶対独特な印刷機械はオフセット印刷機械製造工場として歴史ある濱田鉄工所の顧問技師伊藤魁氏の設計に係り、一日壹萬二千個の印刷五色位をなし得るものを使用する事となる可く、今数字的には判然しないが充分自信があるものの様である。
 因みに箱木氏に照会方希望の向きには本社は喜んでお取次申すであらう。



印刷術の発達と曲面印刷(昭和15年3月9日 於鉄道協会) その5 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 クルヴァグラヴーの門出 
クルヴァグラヴォーがこゝに生まれて来たと仮定しまして、その首途についてちよつと簡単に申上げます。私のクルヴァグラヴォーが先づ世の中に第一歩を踏み出しましたのは、先に云ひました第一回の特許局の発明展覧会に入選の光栄を得たこと、それは昭和八年でございます。それから昭和九年に、畏くも御下賜になつてをります恩賜発明励奨資金、金一千円也の御下附を仰ぐの光栄に浴したのであります。更に九年度の商工省の工業研究奨励金九千円を戴きまして、これで当時行詰つてをりました財政方面が非常に楽になりました。
  一色刷機械を六台、五色刷機械を一台取り敢ず動く程度まで造り上げたのであります。その五色刷一台といふのは、半自動的なもので、全部のシリンダーその他をニューマティツクに造つてみたのであります。存外恰好もスマートに出来ました。これは最初一九三七年開催のパリの万国博覧会へ持つて行けしないか、といふ下心があつたものですから、総てをポータブルに造り上げたのであります。当時名古屋にラボラトリーを有つてをりましたが、どうも名古屋では、気の利いた、―外の機械は別ですが―かう云つた機械の製造所がありませんでした。そこで東京深川の関機械製作所の社長さんの関義孝氏の絶大なる御好意の下に―私自らが先刻来た度々申上げますやうに機械について何等組織的な知識を有つてをらぬものでございますから、勢ひ関さんや諸専門家にお縋りするより仕方がなかつたのであります。この関氏は、謂はば私の貧弱な技術を完全なものにしてくれた非常な恩人でございます。それから其の機械が、幸に理化学研究所の辻次郎博士の御選定によつて、パリ博覧会の出品物四十二点とかの内の一つに数へられました。これは私として非常なエポツク・メーケイングなことであつたのであります。巴里出品の直前に、高島屋で発明品展覧会がありました時に、秩父宮殿下、高松宮殿下の両雨宮様の御台覧を辱くして、自ら不束ながら御説明を申上げ得ると云ふ光栄に浴したこともございます。
kurba gravo - lecture at Railway Association.JPG で、話はパリに一足飛びに飛んで、私は、職人さんを一人連れてそのオペレーションに出掛けたやうなわけでございます。其処へは世界人が観覧に来ます確か従来の博覧会の例を破つて三千六十万人の有料入場者があつたといふことであります。ただ残念なことに日本館は、例のエツフエル塔を中心としたセーヌ河に臨んだロケーションの処に極めて貧弱なところを私たちは貰ひました。最初は目抜きの本通に一応指定されたのでありますが、外務省と商工省が愚図愚図してをる間に、ノールウエイにその良い場所を奪られたのであります。とに角三千数百万人入つた内に本館に足をひいたのはその百分の一にすぎないといふ残念な状況でありました。それでも割合に専門家が私の説明を聴いてくれまして、硝子製造家、陶磁器製造業者、ペーパー・カルトン製造家と云つた人たち、この人たちで、私の機械を欲しいといふ意を洩らした人が七十五名ございました。更に私の知つてゐる、例へば、ダルムスタツトのゲーベルの社長、或はアルバートの社長、それからスウイツルのインターナショナルプリンティングマシン会社の社長或はイギリスのライヌタツプの社長、マルノニーの社長等世界のアメリカを除いて重要な人に手紙を出し、電報を発して来て貰ふやう駆り出しをやつたわけであります。唯物主義の国で、何んの風情があつて人の物を見に来る筈はないのでありますが、幸いに曲面印刷といふ機械が動いてゐるといふことが興味を惹いたと見えまして、之等重要な人が態々パリへやつて来てくれたといふことは、非常に私としては面目を施したわけでございます。
 決して自己宣伝をやつてをるわけでございませんが、序でに申上げます。科学第一部の審査についてであります。価額の全出品物は各国を通じて莫大にのぼつたわけでありますが、私のこの曲面印刷機械といふものは、ユニツクのインヴェンションとして、十三人の審査員が全部フル・マークを付けてくれたといふこと、これは後日ドイツ人の主席審査員ドクター・マーシューといふ機械の技師から聞きましたが、「君のやつは、一番簡単にグラン・プリをやらうと、云ふ事に反対なしに決まつた」と云つて居りました。その時に日本の出品物では、理化学研究所がやはり十五点お出しになつてをりましたがこれは過去に於いて産業に非常に貢献したといふので名誉的にグラン・プリーを一点お取りになりまして、都合二点、三十七年のパリ博覧会からは日本は二つのグラン・プリーを下げて帰つて来た次第でございました。因みに吾が曲面印刷は私と関さんの両名義になつてゐます。仏蘭西側も援助者の功績を認めてくれた次第です。
 クルヴァグラヴーの現況 
ずつと素ツ飛ばしまして、かく申します如く曲面印刷といひますものは、印刷史の上では一番若僧でありまして、人間の年齢で申しますとやつと小学校へ入つたか、入らぬの年齢で、これが活発に世の需要に間に合ふといふことは、木に縁つて魚を求めるの類であつて、少し御註文が無理であります。今私共は、大阪の一流の硝子メーカーと共同して新会社を起し曲面印さ鵜の準備をやつてをります。幸ひかういふ非常時状態でありながら、其硝子工場に鉄工所の立派なものがありますから、そこで機械を製造しつつあると云つた状態でありまして、実施上の結果を皆さんにまだ御報告し得ないといふことは洵に物淋しいわけでございますが、是はいまだ齢が若いから已むを得ない。かういふ弁解の弁を弄するわけであります。
 曲面印刷の応用 
ところで、鈴木主事が、勝手に表題を付けて下さいましたが、とに角「明日の使命」と云つたやうなことがありますから、その使命を若干でも申上げて、講演の題旨だけを纏めます。曲面印刷の使命といふことは、要するに応用品目を結局申上げて結論といふやうなことにいたしませう。此の印刷方法の特長は、総て形を造つてから後に、いはゆる成形後に模様を施すべき有りと凡ゆる工芸品に応用することができるのであります。その品目を申上げますといふと先づ今日の予想で一番多いのが、凡有る瓶類、殊にその内麦酒、サイダー、化粧品類の瓶、何れも年産壹千万以上あります。それから陶磁器ベークライト、ああいつた類のものは、今日はまだ加工されてありませんが、これは非常に有望な応用品目と私は想像してをります。それからセルロイド製品、紙器、―紙器と私の申しますのは、平らな紙を後で鋲で止めて形を造つたものでなしに、パルプの状態から之を成形したものを意味してうります。此の紙器につきましては、フランスのメーカーの如きは、非常に立派なペーパー・カルトンを造つてをりまして、曲面印刷の力で最後のメークアツプがしたい、早く完成してくれ―と云つてをりました。日本での瀧の川に何とか紙器会社と云ふのがありますが、其の外にはヴィスコース・パルプから直接成形した紙器はおやりになつてをらぬことが私は不思議で堪らないのです。それから、一切の所謂金属、プレスワークの品物。いろいろございますせう。アルマイトもございませう。その他琺瑯鉄器もございませう。その他等々で存外のところで応用品目がございます。ある人は、例へば、印度向けの靴下にプリントをしたいのだが、というふまアさう云つたやうな話もありますし、それからこれはちよつと可笑しい笑い話としてどうかと思ひますが、お菓子の最中なども焼判を捺してゐますが。あれを何かその筋の認める範囲の材料を使つて、その地方の風物を画き土産物などにしたらどうか、これは勿論本格的な対象として考へてをるのでありませんが、そんなことも考へてをります。
 結 論 
今日は鎌田先生をはじめ、写真の方のお方が沢山ゐらつしやいますから、特殊印刷の話はこの辺で遠慮させていただきまして結論としたいと思ひます。われわれの方で極く近代的に有名な例のライノタイプ、これは独人マーゲンターレルの発明で、それからクリストファネス・ショールスのタイプライター、かういふ風に人類に貢献している発明も、却却その発明は、そのヒントを得た者一人の手やなんかでは決して完成したものではありません。殊に私如き、先刻来、何回も申上げましたやうに非科学者である者の、発明が到底自分一人の手に負へるといふことは毛頭想像し得ないのであります。今後もますますその道の諸先輩の後後援を得て、棘多き茨の道を目的に向かつて邁進したいと存じてをるのであります。大変まづい講演を御清聴頂きまして心から感謝致す次第でございます。
                                  (拍手)

印刷術の発達と曲面印刷(昭和15年3月9日 於鉄道協会) その4 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 日本に於ける研究 
然らば日本ではどうかと申しますと、不肖私が一番先に曲面印刷に手を染めたといふことは特許書類の出願年号が之を実證するわけであります。過去約十年、つまり私が始めましてから後十年も経てから後に、これは記録として書き抜いたのでございますが、名古屋の落合長次郎さん、これは陶磁器絵付業者であります。それから村山義雄さん、この方は歯医者さんでございますが、所謂発明好きのお方ださうです。それから大阪の前田嘉道さん、東京の久世義一さん大阪の篠田元吉さん東京の久米吉之助さんといふやうな方々が、此の十年来曲面印刷に対して大いに関心を持たれてゐるようでございます。そこで私は、今申上げました部分の事を揺籃時代の曲面印刷とでも申しませうか、揺籃時代の研究に対して、洵に僭越ではございますが、私の独断的な結論を下してみたいと存ずるのであります。
  揺籃時代の曲面印刷に対する批評 
欧米の特許への総ては、円筒形への印刷、乃至は凹面への印刷にのみ限られてゐるのであります。日本では御承知の、同じく円筒とそれから例へば、ゴルフ・ボールに印刷するとか、或いは西瓜にマークをつけるとか、要するに会社の名前を捺印するといふ程度のことでございまして凸面への印刷といふことは、これは私に云はしむれば、鬼の眼に看過しとでも申しませうか、内外何れの人も手を付けてゐなかつかといふ次第でございます。これは個人的なことでございますが、私の研究には非常に幸ひであつたわけであります。この今申します円筒面への印刷は如何にも立体物への印刷のような感じを与えますが、之は所謂ロータリー・プレスで、これへの印刷は曲面への印刷でない。R・ホー会社のロータリー・プレスといふのは、取りも直さず、この円筒面への印刷機でありまして、ただ器物の周りに印刷されるのであります。円いシリンダに馴染んで印刷されるだけでありまして、これをもつて曲面印刷とは断じて出来ないのであります。幾何学的にはこれは二次面体であつて、決して三次面体ではありません。細長い矩形が単に分析されたに過ぎないのであります。局面印刷のカテゴリーの内に入るべきものでないと断言できます。むしろこれっもやはり名古屋地方で始めた方法で御座いますが、護謨判の印刷方法がございます。これはある意味において曲面印刷とも言ひ得るのであります。大きさ二分位から三寸位までの判をもつて、例へば、デイナ・ウエアの大きなセツトに、女工が非常に器用に、三色、五色といふ合せ刷りでなしに、合せ判しをやつてゐるのであります。むしろこの方がある意味において曲面印刷の分野に喰ひ込んだ方法ぢやなからうかと思ひます。然し、これも敢て印刷の定義を振り翳すわけではありませんが、印刷だけでなくして捺印の範囲を一歩も出てをりません。そこでいよいよ本当の曲面印刷―といふと変な言葉ですが、これは私の二十年間の研究に係る負圧力を利用する所の曲面いんさつについて喋らせていただきたう存じます。
  負圧力利用の曲面印刷方法発明 
先刻申上げますやうに、最初の基礎的研究と申しますか、それを高等工芸で、いろいろ諸先生のご理解の下に研究のスタートを切ったのでありますが、考へてみまするに、曲面印刷の最も広く実施されそうな印刷の対象物は何であるか?その当時の私といたしましては、陶磁器類が数量的に見込みがよからうといふので、断然思ひ切つて、当時東京に居りましたのを名古屋に引越しを致しまして、此処で所謂御輿を据ゑて研究を始めたのでありまう。そこで日本の陶磁器業界では非常に傑いお方で児と殊に輸出組合の創立者、凡有る輸出組合の濫觴を築いた伊藤九郎といふ方がございました。この方の御斡旋によつて、名古屋に於ける四軒の大店の主人公の御後援を得て、ちよつと今から考へますと、非常に乱暴なわけであつたのですが、最初からお皿類に対して六色刷の全自動式の機械を創つてみようといふので、之を実行に移したのであります。幸に当時名古屋高等工業学校の機械科の教授で松良正一といふ方がゐらつしやいました。その方の御助力によつて、全重量十トン六色全自動式の機械を兎にも角にも動くまでにやつてみたのであります。ところが、非常に期待してをりました陶磁器類は、皆様の御家庭に於きましても、例へば、コーヒーカップでございますと、カップは大体一定の形式を持つておりますが、陶磁器製品は、凡有る恰好がアソーテツドされて、商品が構成され、殊に甚しいのは何十ピースといふのがあつて一つの商品になつて居ります。十二人分のお皿に対して、珈琲茶碗とか、砂糖壺、ミルク壺とが組合さつてゐる。ところが、印刷では同じ模様のキャラクターを現して行かなければなりません。到底これは印刷の対象ではないといふことが判つたわけであります。勢ひ全自動式六色刷の機械も、いはゆる力が剰りすぎて、結局三下奴に足を掻払はれたやうな恰好でどうも仕様がなかつたのであります。
 ところが、その当時、特許局で、第一回の発明展覧会を開催なさいまして、私の曲面印刷方法といふfものも選に入れて戴く光栄に浴し、殊に当時の中松長官が、AKを通じて全国に重要発明三、四点を紹介なすつて下さいましたがその一に算へられるやら、或いは「大毎」等が大分英字新聞に翻訳いたしまして、それがイギリスや、米国に運ばれて、アメリカの有名な「セラミツク・インダストリー」といふ窯業専門の雑誌がございますが、それが特に名古屋の領事をやつてをりましたニュートンといふ人を通じて、是非ニュースを供給してくれ―ちいふことで之れに応じました。それから例のマンチェスター・ガーディアンが「英文毎日」を見て批評を試みました。又その批評に対して、マンチェスターの陶磁器業者が非常に皮肉な批評を試みるといふやうなわけで、私の曲面印刷も幾らか海の彼方に知られると云つたやうな状態になつたのであります。今そのマンチェスター・ガーディアンの二日分の批評を、私の頭で之を要訳いたしますといふと、「印刷術の極度に発達したヨーロツパに於いてはアンプレナー・サーフエース―曲面に印刷するといふことは敢て珍しいことではない。然し、従来の研究者は、版の裏の方から空気の圧力で之を押して器物に押し付けようとしました。而してその結果はどれも成功しなかつた。が、日本人の発明家の箱木一郎といふ人の新しいプロセスは、版と器物との間に構成されるエーア・チェンバーから空気を抜き取るといふことにある。これで難解とされてをつた曲面印刷なるものも実用性を帯びて来た。さなきだに廉い日本製品に、詩情を荒らされてをるマンチェスターは、大変な不況に直面するであらう」かう云つたやうな記事を書いておりました。
 偖て、大変横道ばかり喋つてをりますが、曲面印刷とは然らばというふものかといふことを一応ご説明申上げたいのであります。
 今仮に、この図は其処でちょつと描いたので甚だ不細工でありますが、此処に凹面―被印刷体を仮定いたします。お皿或いは丼、何でも宜しいが、かういふものに全面或いは部分的にも印刷をします。この赤いのは、エラステイツクダイアフラム(護謨の薄い板)でございます。この板に予め原版といたしまして金属の凸版を用ひます(。)何故に凸版を用ふるかと云ふ事は長い間の結論から帰納したものですが、要するに凸版オフセツトといふこと(に)尽きます。さうして此の面(例えば皿の凹面)に当てまして、一つの空気室といたします。さうして示してありますが如く、その一部分例へばリームの直上が都合好いんでありますが、その適当なところから中の空気を抜き取ります。さうしますと、すべての部分が之に密着致します。中間工程において、すべて此器物の面に対して直角に圧力が作用してくれるものでございますから、割合にスリップすることなく完全に近く、勿論これだけ(皿の直径)の長さのものがこれだけ(直径の曲線)に伸びるのでございます。こゝに大体一刷限の伸び縮みがあるのでございますが、幸に人間の眼は、正確なやうであつて錯覚を持つてをりますから、一向差支へないわけでございます。これが凹版への印刷の極めて簡単な説明であります。
 それから凸面の場合は、此処に一つの香水瓶を仮定いたします。これを一つのホルダーに抱せるわけです。ですから結局刷りますのに、ホルダーの内側を一つの凹状の印刷面があつて、その被印刷面の中間に、此処に印刷したい凸面上被印刷体が単に介在するといふ風に考へて見れば同じわけであります。どうも頭でつかちの尻すぼみの変なことになりますが、仮に曲面印刷はある程度完成したとまでは勿論言へませんが、理論と致しては完成したといふことにさせていただきまして、私は自分の発明いたしました曲面印刷方法に何とか命名をしたかつたのです。ところが之を『曲面印刷』と云つたんでは、単に日本にもつうずるかどうか心配であります。出来れば自分の子供を世界的に、又時間と空間を超越して、科学の世界には国境がないわけでありますから、世界的に大いに活躍させたい、といふわけで、名前も世界的なものを撰ぶ様に希望してゐました。
 「クルヴァ・グラボ・プロセス」と命名
 私は、本来非常にアンチブリチツシュの男でございまして、英語で名前を付けるなんといふことは頓でもないことであります。ドイツ語も嫌やであります。エスペラントが宜しからうといふので、予て私が懇意に願つている秋田雨雀さん、これはエスペラントを日本で最初からやつてゐられる方で、二十年近く前から存じてをります。何とか名前を付けてくれませんか、―と一日寝坊の先生を朝早く敲き起して頼みましたところ、即席に字引をひつぱるやら何かして紙に書いてくれました。それはKurba Gravoとしてはどうかといふわけで、秋田氏を名付親としたのでございます。このクルバと申しますのは、大体欧洲の言葉で、所謂曲つてゐるといふことの意味を想像し得る語であります。勿論エスペラントとしても字引にちやんとある言葉でなしにもぢつた言葉であります。それからグラヴォーといふのは、取りも直さずグラヴユヤであります。本来印刷と誰しも想像出来る言葉でございます。斯くの如く私の曲面印刷機は、ヤンキーネームでもなく、ジョンブルネームでもなく、エスペラントのクルヴァ・グラヴォーといふのです。新渡戸先生の甥御さんが、非常にフオネテイカルでいい名前だからそう命名しなさいというふことを云つて下さいましたことがございました。

1937年巴里万国博覧会公式カタログより [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 祖父箱木一郎が曲面印刷機Kurba Gravoを出陳した1937年のパリ万博。その記録の載っている書籍から写真を紹介。一枚目は1937年巴里万博公式目録(CATALOGUE OFFICIEL TOME I 2 Edition LISTE DES EXPOSNTS PARIS 1937)の表紙。因みに巴里万博の副題は「近代生活に於ける美術と工芸」であった。cover.JPG

 二枚目の写真は、表紙と同様の文字が書かれている。(EXPOSITION INTERNATIONALE DES ARTS ET DES TECHNIQUES DANS LA VIE MODERNE PARIS 1937 TOME I (2e Edition) CATALOGUE GENERAL OFFICIEL) TOME Iとなっているので、第二巻もあるのであろうが、残念ながらどのようなものかは分からない。
first page.JPG

 三枚目の写真は、区分が書かれた頁である。1から14までに分けられている。GROUPE I. - Expression de la pensee.第一群は「思考の表現」で、その分類1では「応用に於ける科学的発見」となっている。一階が「発見の宮殿」で、例えば第13の間では「原子の放射能と合成」(RADIOACTIVITE ET SYNTHESE ATOMIQUE), 第28の間は植物園で、日本庭園、ミニチュア庭園などの項目も見える。この第一群の責任者はPaul Valeryポール・ヴァレリである。
 分類5では「音楽の発露」(MANIFESTATIONS MUSICALES)となっており、目的は当時のフランスで進行中の音楽を描き出すことである。演奏された作曲家たちには、Arthur Honneger, Charles Koechlin, Olivier Messian, Darius Milhaud, Jacques Ibert, Francis Poulenc, Maurice Ravel, Igor Strawinskyがずらりと並んでいる。日本人のMichigo Toyama (Japon)として、オネゲルに続いて第一演奏会に名を連ねている。作品名はVoix de Yamato (pour soprano)で、楽器はフルート2、クラリネット、ファゴットおよびチェロである。

classification.JPG

 4枚目の写真は、万博に参加した外国の括りである。
sections etrangeres.JPG

 5枚目の写真が、参加した日本の出品者、団体名の一覧である。日本は8ページ、アメリカ10ページ、イギリス13ページ、ドイツは50ページなので、万博に対する各国の力の入れ方が伺われるように見える。
 掲載されているのは732ページ下から24行目であるが、ここに箱木一郎の名前が見える。フランス語では下記のように書かれている。
 YOSHITAKA SEKI ET ICHIRO HAKOGI, Tokio. - (Machine a imprimer, surface courbe automatique : Hakogi's Curba Grovo-Machine)
(残念ながらKurba Gravoの綴りが異なっている。)
curba Gravo machine.JPG

 また、改めてのこ巴里万博については、巴里万国博覧会協会が発行した「一九三七年巴里万国博覧会協会事務報告」に基づいてまとめてみたい。(2011年1月4日 水曜日)

THE PENROSE ANNUAL 1940 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

THE PENROSE ANNUALReview of the Graphic Arts
Edited by R. B. Fishenden, M.Sc.(Tech.), F.R.P.S.
Volume Forty-two
1940

London LUND HUMPHRIES & CO LTD
12 Bedford Square WC1
1940


THE TEXT
General Articles

Editor’s Review
R. B. FISHENDEN, M.SC.(TECH.), F.R.P.S. page 1
Current Advertising – a Commentary
JOHN BETJEMAN, London 17
The Future of “Picture Post”
EDWARD HULTON, Managing Director, Hulton Press Ltd. 21
Realism and Fantasy in Advertisement Presentation
FRED. A. HORN, Designer and Typographer 25
Looking Forward
HOWARD WADMAN, London 29
Fleet Street to Tahiti
ROBERT GIBBINGS, Artist and Engraver 34
Czechoslovak Industrial Art
METHOD KALAB, Director, Industrial Printing Works, Praha, C.S.R. 37
Design in Continental Magazines
BERTRAM EVANS, Bertram Evans and Personal Staff Ltd. 42
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・
Technical Articles

An Epilogue to the Centenary of Photography
EDWARD EPSTEAN, New York page 93
The First Colour Photograph
D. A. SPENCER, PH.D., F.I.C.,(HON.) F.R.P.F., Director, Colour
Photographs (British & Foreign) Ltd. 99
Progress in Photographic Type Composition
V. E. GOODMAN, managing Director, Waterlows Ltd. 101
The Aller Process
ERIC HUMPHRIES, Director, Lund Humphries & Co. Ltd. 105
“Life” Production
N. L. WALLACE, Assistant Vice-President, “Life,” New York 108
Further Gravure Developments
J. S. MERTLE, A.R.P.S., Technical Director, International
Photo-Engravers’ Union, U.S.A. 111
Chemical Discoloration of Printed Matter
CHARLES OCKRENT, PH.D., D..SC., Chief Chemist, Printing and Allied
Trades Research Association 114
Colour Measurement
H. MILLS CARTWRIGHT, F.R.P.F., L.L.C. School of Photo-Engraving 118
The Eastman Colour Temperature Meter
R.F.W. SELMAN, M.SC., A.I.C., Research Laboratory, Kodak Ltd. 121
Colour Synthesis in Trichromatic Printing
DR. J. BEKK, Amsterdam 125
The Necessity for Retouching in Monochrome Photolithography
F.J. TRITTON, B.SC., A.I.C., F.R.P.F.., Manager, Process Department,
Ilford Ltd. 130
A Colour Chart for Photo-Offset Work
F.G.S. CACKETT, A.R.P.S., Brown Knight & Truscott 133
“Triplemetal” – A New Zinc Alloy Photo-Engraving Plate
WM. H. FINKELDEY, Consulting Metallurgist, Edes manufacturing
Co., Plymouth, Mass., U.S.A.; Director, Singmaster & Breyer,
New York 136
Some Recent Developments in Photo-Engraving Material
C.D. HALLAM, F.R.P.S., AND R.S. COX, F.R.P.S., L.C.C. School
Of Photo-Engraving 141
Tint Backgrounds for Half-tones
E.L. TURNER, F.R.P.S., L.C.C. School of Photo-Engraving 143
Developments in High-Brightness Electric Discharge Lamps
J.N. ALDINGTON, B.SC., A.I.C., F.INST.P., Assistant Works Manager,
Siemens Electric Lamps and Supplies Ltd. 145
Spraying Printed Sheets
FRED. A. HACKER, Manager, New Products Division, American
Type Founders Inc., New Jersey, U.S.A. 150
Paper, Ink, and Printability
R.F. BOWLES, B.SC., A.I.C., Lorilleux & Bolton Ltd. 153
The Practice of Bumping
VICTOR CLOUGH, Printing Consultant, London 158
Advertisers’ Note-Book 160



THE LETTERPRESS PROGRESS AND DUPLICATION
Rivalry between the major printing processes is a helpful stimulant. It is unlikely that letterpress will be displaced, but high speeds in the newer methods have compelled more attention to means of reducing make-ready time and increasing output. Long runs are not printed from original type or etched plates, so that accuracy in duplication processes has increased in importance. In this direction electrotypers and stereotypers are meeting satisfactorily existing requirements.
We continue to hold the view that the arrival of the rotary machine for better-class commercial printing cannot be delayed for long. It will be sheet-fed, and the setting-up simple enough to make runs of medium length economical. (Meanwhile we cannot disregard progress made by engineers in the design of high-speed flat-bed machines of small size.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“Palaplates,” manufactured by the Palatine Engraving Company, Liverpool, were shown in the last volume; this also is a plastic method, and the success of the process continues.
When the new precision small rotaries arrive we shall require a method to give perfect curved duplicate. The suggestion that plastics may be used for this purpose opens up many possibilities, and they may provide alternatives for a perfected rubber or synthetic rubber which will provide a means for producing duplicates with perfect “faces.”
The Kurbo Gravo Process. A very ingenious machine has been patented and is in use in Japan for printing non-planar surfaces, as for example, pottery, bottles, and cylinders. The process essentially is letterpress offset. An elastic diaphragm is inked with an image of the design in one or more colours, and is brought into contact with the surface to transfer the image. The diaphragm being flexible conforms to the shape of the object to be printed, under pressure applied pneumatically to the back of the diaphragm. A feature of the patent is that means are provide to extract the air from pockets which tend to form between the ink face of the diaphragm and the surface to be printed. In the next volume of the ANNUAL it is hoped to publish an article on this process. (pp8-9)この本のこの頁には新聞の切抜きが挟み込んである。記事の台紙にはJAPAN KURBA GRAVO LABORATORY 631, ARAIJUKU 2-CHOME, OHMORI-KU TOKYOと印刷されたレターヘッドが使われている。朱筆余滴と言う記事には鉛筆で「印刷情報 15年6月25日」と記されている。記事の全文は下記の通り。
本年度のペンローズ年鑑を入手擦る事が出来たが、挿入印刷はひどく見劣りがする。これはと感心するやうなものが一向になかつたのは、欧州戦争*のおかげであらう。しかし独乙の電撃戦の成功で、本年度は印刷年鑑どころではないかもしれぬ。  次号に訳出するやうに、フイシエンデンは評論中で箱木氏の曲面印刷法に就いて言及してゐる。一体この年鑑は欧州中心で、日本の事等は全然黙殺してゐる。毎年決まって写真植字機の進歩に就いて述べてゐるが、日本の石井式写真植字機の完成には一言だって触れた事はない。(本社で発行した印刷需要年鑑に、その何頁から何頁迄は写真植字機に依るものだと付記して、フ氏に送った事があるから、知ってはゐると思ふ)しかし、箱木氏の曲面印刷法に就いては、とうとう一言費さざるを得なかったのは愉快である。 ◇ ◇  印刷会社対印刷会社仕事争奪のゴタゴタは何時になっても絶へず、東京印刷工組はその裁判に急がしい。
* 欧州戦争の御蔭:Editor’s Reviewには次のように書かれている。
The loss, the waste, the anxiety of war! This year we must refer to the influence and the new conditions it has brought into our lives. Apart from preparations at sea, on land, and in the air, never before have our cities and towns been the centres of measures against attack, arriving with little warning at any time of the day or night; this interference with normal activities of every kind must throw even greater burdens on the community, creating financial difficulties and producing complications in management, organization, and production, which vitally affect our own industry in all its branches.
In addition to the stupendous task of rebuilding the basic structure, can we at this stage imagine any lasting compensation in aesthetics and technique? We must try to think and act constructively, however hard the task, and this volume being published in a time of acute difficulty, may help in some measure to reach that objective.・・・・
・・・
 In this war, the Government, instead of giving a lead to the right use of design in propaganda, has been reactionary, and for the time being we are oppressed by a mental as well as a physical black-out.(以下省略)

THE JAPAN TIMES & MAIL - JAPAN IN 1937 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

JAPAN IN 1937 – THE JAPAN TIMES & MAIL
『一九三七年の日本』 昭和十二年六月五日発行 定価金七円
編集兼発行者 東京市麹町区内幸町一丁目六番地 株式会社 ジャパン・タイムス社
発行所 株式会社 ジャパン・タイムス社

TO PARIS EXPOSITION
The “Kurba Gravo” Japan-Made Invention Used For Decalcomania Printing

Of the various exhibits representing the old and new cultural aspects of Japan which will be displayed in the “Japan Hall” of the International Exposition opening in Paris on May 1, the section dealing with the newest and most practical Japanese inventions, to be shown in the Scientific Room of the Hall, is bound to arouse the greatest interest.
44 Inventions
Forty-four of Japan’s leading inventions, carefully selected by Dr. Jiro Tsuji, a member of the Institute of Physical and Chemical Research of Japan, with the aid of prominent specialists, is being placed upon exhibition for the world to inspect and admire. One of them is the “Printing Press for Curved Surfaces,” not only used in the ceramic and glass making industries, but also applicable to all articles which have 3 dimension for printing designs on finished products, and invention of Mr. Ichiro Hakogi, holder of several international patents, and a graduate of the Kansei Gakuin.
The Hakogi’s Kurba Gravo is an epoch-making invention, and it is the only curved-surface printing machine now in use.
THE JAPAN TIMES & MAIL 1937.JPGWork Rewarded
For many years, despite the remarkable progress made in the direct printing field, it was believed impossible to create a machine for printing on a curved surface, such as for work on bottles and ceramic ware.
As early as 1750, John Sadler, an English printer, invented decalcomania process on July
27, 1756, with the aid of his helper, Gay Green.
With his invention he was able to print patterns on 1,200 articles every six hours, doing the work of at least 100 men.
But revolutionary as his invention was it cannot be said to be direct printing on a curved surface for it had to undergo the process of transcription. Since then many attempts by both American and European journeymen have been made to find a suitable method but none have succeeded.
It was not until January 18, 1932 that Mr. Hakogi, after years of experimentation, came upon his new discovery. He worked on the air suction process. He had found that other experimenters failed to make perfect designs because between the diaphrane and the product to be printed a thin layer of air existed making it impossible to have perfect contact. By the use of sucking apparatus, a vacuum would be created, assuring a perfect design.
Hakogi, Inventor
With the use of the Hakogi Kurba Gravo press he can print ceramic work and glassware in six colors employing all kinds of patterns. The construction of the press is so that any article, no matter what shape, can be mechanically printed and designed.
However, in view of the high cost of manufacturing the new machine, the Government desirous of producing a practicable printing press which could be marketed at a reasonably low price gave to Mr. Hakogi a \9,000 grant as encouragement for further research. With the aid of Mr. Yoshitaka Seki, an engineer using the same principle, the pair a year later completed a printing press which could print on bottles.
Wins Prize
In 1934 the inventor was honored with an Imperial Prize for the invention. The new machine operates so smoothly that it prevents ceramic and glass from cracking and prints a clear design on the article. Mr. Hakogi is expected to have left for Paris late March where he will introduce the new machine to the world-at-large.
The Japan Kurba Gravo Laboratories are located at Akatsuka Nagoya, Japan. Correspondence can be addressed to P.O. Box 55, in care of the company.
(The Japan Times & MaillのJAPAN in 1937 p142より全文)

陶磁器界へ貢献 新聞記事文庫 陶磁器製造業(2-058) 東京日日新聞1935年2月5日(昭和10) [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 家系図と言う名で、新しいブログを書き始めることにした。本来はホームページに公開する予定だったのだが、パソコンが古くなり、ホームページを作成した無料ソフトも使用期限が切れてしまい、今更ホームページを作るのも面倒になった、と言うのが実情である。祖父達のことはそれほど書くつもりもなかったのであるが、自分の年齢が高ずるにつれて、気力のあるうちに身内にだけでも、自分達の先祖について知っていること、分かっていることを纏めて記録に残しておこうと考えた次第。 そして、今日2009年2月19日の木曜日に、父が封書を持ってきてくれた。それは祖父箱木一郎の発明に関する新聞記事をホームページから印刷したもの、中国語の記事、その和訳の三点であった。早速、ここに公開することにする。

陶磁器界へ貢献
文様も自在に描く印刷機を完成全然、畑違いの人の手に・・・また発明日本の誇り

陶磁器界へ貢献
こんど、世界最初の「陶磁器曲面印刷機」という珍しい機会が発明せられ、その発明者に対し商工省では有用工業奨励金九千円を下付することに決定した。この陶磁器曲面印刷機というのは、皿、茶碗、コーヒー・セット等の文様、図案等を特殊の印刷機によって機械的に六色までのオフセットずりをするもので、現在コーヒー・カップ、洋皿等の文様は全部子供の玩具にある「うつし絵」式に、一旦紙に印刷してあるものを一枚一枚女工さんの手で素焼きの陶磁器に転写し、文様だけを貼り付け紙を剥ぎ取って釜に入れていたため、如何にしても継目を生じ、また絵が折れ返ったりして生産能率上の障害になっていた。ところが「曲面印刷機」は十二馬力のモーターで自働的に二、三人の職工で一時間に一千枚の曲面印刷をなす能力を有し、その原理は原画を一旦薄いゴム版に刷り取り、これを茶碗や皿の曲面にあてがい、その中間の空気をポンプで吸い取って真空貼り付けを用いあざやかに原画を曲面に転写する精巧なものである。これを発明した箱木一郎君(三五)は十年前関西学院の社会学科を卒業、全く方面違いの印刷に興味をもち、約五年前から東京高等工芸教授伊東亮次氏のもとに出入りするうち、陶磁器の文様に印刷機なく、旧態のままの原始的技工方法をとっているのに目をつけ、名古屋市東区芳野町の陶磁器輸出組合の一室に研究所を設け、名古屋高工の松良教授の協力を得て漸く完成したものである。昨年は発明協会から恩賜賞一千円の下付の光栄に浴し、今回また商工省かから奨励金の交付をみたもので、将来はこの機械をなお一層小型な手軽なものに改装すると同時に瓶、ガラス壜、ガラス製コップ等にまでも華麗な美術印刷をすると意気込んでいるが、何しろ陶磁器はわが海外輸出品中、名古屋を中心として生産されているものだけでも、年額三千五百六十三万四千円(昭和八年度)の巨額に達し、輸出品中の主要なるものであるから、簡便な曲面印刷機の発明は斯界発展へなお一層の拍車を加えるであろうと期待せられる。
専門家には却って感付けぬ 特許局化学課長 堀川氏談
箱木君の発明は世界に誇るに足るものでしょう。同君が専門家でなかったために思いつきが突飛で、却って専門家には感付けなかったことです。商工省では同君に一層の努力をお願いしてこれを簡易化し機械そのものを工業化していただくための奨励金の下付をみたわけです。(データ作成:2004.2 神戸大学附属図書館)

神戸大学電子図書館のデータを見つけたので、urlを紹介しておく。2010年7月18日日曜日
記事の題名は「関学出身の青年科学者誇らかに完成」である。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00078237&TYPE=HTML_FILE&POS=1

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次回は、「傅抱石による日本工芸美術の視察」(原文中国語)を父の知り合いが訳して下さったものを紹介する予定である。
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