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印刷術の発達と曲面印刷(昭和15年3月9日 於鉄道協会) その4 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 日本に於ける研究 
然らば日本ではどうかと申しますと、不肖私が一番先に曲面印刷に手を染めたといふことは特許書類の出願年号が之を実證するわけであります。過去約十年、つまり私が始めましてから後十年も経てから後に、これは記録として書き抜いたのでございますが、名古屋の落合長次郎さん、これは陶磁器絵付業者であります。それから村山義雄さん、この方は歯医者さんでございますが、所謂発明好きのお方ださうです。それから大阪の前田嘉道さん、東京の久世義一さん大阪の篠田元吉さん東京の久米吉之助さんといふやうな方々が、此の十年来曲面印刷に対して大いに関心を持たれてゐるようでございます。そこで私は、今申上げました部分の事を揺籃時代の曲面印刷とでも申しませうか、揺籃時代の研究に対して、洵に僭越ではございますが、私の独断的な結論を下してみたいと存ずるのであります。
  揺籃時代の曲面印刷に対する批評 
欧米の特許への総ては、円筒形への印刷、乃至は凹面への印刷にのみ限られてゐるのであります。日本では御承知の、同じく円筒とそれから例へば、ゴルフ・ボールに印刷するとか、或いは西瓜にマークをつけるとか、要するに会社の名前を捺印するといふ程度のことでございまして凸面への印刷といふことは、これは私に云はしむれば、鬼の眼に看過しとでも申しませうか、内外何れの人も手を付けてゐなかつかといふ次第でございます。これは個人的なことでございますが、私の研究には非常に幸ひであつたわけであります。この今申します円筒面への印刷は如何にも立体物への印刷のような感じを与えますが、之は所謂ロータリー・プレスで、これへの印刷は曲面への印刷でない。R・ホー会社のロータリー・プレスといふのは、取りも直さず、この円筒面への印刷機でありまして、ただ器物の周りに印刷されるのであります。円いシリンダに馴染んで印刷されるだけでありまして、これをもつて曲面印刷とは断じて出来ないのであります。幾何学的にはこれは二次面体であつて、決して三次面体ではありません。細長い矩形が単に分析されたに過ぎないのであります。局面印刷のカテゴリーの内に入るべきものでないと断言できます。むしろこれっもやはり名古屋地方で始めた方法で御座いますが、護謨判の印刷方法がございます。これはある意味において曲面印刷とも言ひ得るのであります。大きさ二分位から三寸位までの判をもつて、例へば、デイナ・ウエアの大きなセツトに、女工が非常に器用に、三色、五色といふ合せ刷りでなしに、合せ判しをやつてゐるのであります。むしろこの方がある意味において曲面印刷の分野に喰ひ込んだ方法ぢやなからうかと思ひます。然し、これも敢て印刷の定義を振り翳すわけではありませんが、印刷だけでなくして捺印の範囲を一歩も出てをりません。そこでいよいよ本当の曲面印刷―といふと変な言葉ですが、これは私の二十年間の研究に係る負圧力を利用する所の曲面いんさつについて喋らせていただきたう存じます。
  負圧力利用の曲面印刷方法発明 
先刻申上げますやうに、最初の基礎的研究と申しますか、それを高等工芸で、いろいろ諸先生のご理解の下に研究のスタートを切ったのでありますが、考へてみまするに、曲面印刷の最も広く実施されそうな印刷の対象物は何であるか?その当時の私といたしましては、陶磁器類が数量的に見込みがよからうといふので、断然思ひ切つて、当時東京に居りましたのを名古屋に引越しを致しまして、此処で所謂御輿を据ゑて研究を始めたのでありまう。そこで日本の陶磁器業界では非常に傑いお方で児と殊に輸出組合の創立者、凡有る輸出組合の濫觴を築いた伊藤九郎といふ方がございました。この方の御斡旋によつて、名古屋に於ける四軒の大店の主人公の御後援を得て、ちよつと今から考へますと、非常に乱暴なわけであつたのですが、最初からお皿類に対して六色刷の全自動式の機械を創つてみようといふので、之を実行に移したのであります。幸に当時名古屋高等工業学校の機械科の教授で松良正一といふ方がゐらつしやいました。その方の御助力によつて、全重量十トン六色全自動式の機械を兎にも角にも動くまでにやつてみたのであります。ところが、非常に期待してをりました陶磁器類は、皆様の御家庭に於きましても、例へば、コーヒーカップでございますと、カップは大体一定の形式を持つておりますが、陶磁器製品は、凡有る恰好がアソーテツドされて、商品が構成され、殊に甚しいのは何十ピースといふのがあつて一つの商品になつて居ります。十二人分のお皿に対して、珈琲茶碗とか、砂糖壺、ミルク壺とが組合さつてゐる。ところが、印刷では同じ模様のキャラクターを現して行かなければなりません。到底これは印刷の対象ではないといふことが判つたわけであります。勢ひ全自動式六色刷の機械も、いはゆる力が剰りすぎて、結局三下奴に足を掻払はれたやうな恰好でどうも仕様がなかつたのであります。
 ところが、その当時、特許局で、第一回の発明展覧会を開催なさいまして、私の曲面印刷方法といふfものも選に入れて戴く光栄に浴し、殊に当時の中松長官が、AKを通じて全国に重要発明三、四点を紹介なすつて下さいましたがその一に算へられるやら、或いは「大毎」等が大分英字新聞に翻訳いたしまして、それがイギリスや、米国に運ばれて、アメリカの有名な「セラミツク・インダストリー」といふ窯業専門の雑誌がございますが、それが特に名古屋の領事をやつてをりましたニュートンといふ人を通じて、是非ニュースを供給してくれ―ちいふことで之れに応じました。それから例のマンチェスター・ガーディアンが「英文毎日」を見て批評を試みました。又その批評に対して、マンチェスターの陶磁器業者が非常に皮肉な批評を試みるといふやうなわけで、私の曲面印刷も幾らか海の彼方に知られると云つたやうな状態になつたのであります。今そのマンチェスター・ガーディアンの二日分の批評を、私の頭で之を要訳いたしますといふと、「印刷術の極度に発達したヨーロツパに於いてはアンプレナー・サーフエース―曲面に印刷するといふことは敢て珍しいことではない。然し、従来の研究者は、版の裏の方から空気の圧力で之を押して器物に押し付けようとしました。而してその結果はどれも成功しなかつた。が、日本人の発明家の箱木一郎といふ人の新しいプロセスは、版と器物との間に構成されるエーア・チェンバーから空気を抜き取るといふことにある。これで難解とされてをつた曲面印刷なるものも実用性を帯びて来た。さなきだに廉い日本製品に、詩情を荒らされてをるマンチェスターは、大変な不況に直面するであらう」かう云つたやうな記事を書いておりました。
 偖て、大変横道ばかり喋つてをりますが、曲面印刷とは然らばというふものかといふことを一応ご説明申上げたいのであります。
 今仮に、この図は其処でちょつと描いたので甚だ不細工でありますが、此処に凹面―被印刷体を仮定いたします。お皿或いは丼、何でも宜しいが、かういふものに全面或いは部分的にも印刷をします。この赤いのは、エラステイツクダイアフラム(護謨の薄い板)でございます。この板に予め原版といたしまして金属の凸版を用ひます(。)何故に凸版を用ふるかと云ふ事は長い間の結論から帰納したものですが、要するに凸版オフセツトといふこと(に)尽きます。さうして此の面(例えば皿の凹面)に当てまして、一つの空気室といたします。さうして示してありますが如く、その一部分例へばリームの直上が都合好いんでありますが、その適当なところから中の空気を抜き取ります。さうしますと、すべての部分が之に密着致します。中間工程において、すべて此器物の面に対して直角に圧力が作用してくれるものでございますから、割合にスリップすることなく完全に近く、勿論これだけ(皿の直径)の長さのものがこれだけ(直径の曲線)に伸びるのでございます。こゝに大体一刷限の伸び縮みがあるのでございますが、幸に人間の眼は、正確なやうであつて錯覚を持つてをりますから、一向差支へないわけでございます。これが凹版への印刷の極めて簡単な説明であります。
 それから凸面の場合は、此処に一つの香水瓶を仮定いたします。これを一つのホルダーに抱せるわけです。ですから結局刷りますのに、ホルダーの内側を一つの凹状の印刷面があつて、その被印刷面の中間に、此処に印刷したい凸面上被印刷体が単に介在するといふ風に考へて見れば同じわけであります。どうも頭でつかちの尻すぼみの変なことになりますが、仮に曲面印刷はある程度完成したとまでは勿論言へませんが、理論と致しては完成したといふことにさせていただきまして、私は自分の発明いたしました曲面印刷方法に何とか命名をしたかつたのです。ところが之を『曲面印刷』と云つたんでは、単に日本にもつうずるかどうか心配であります。出来れば自分の子供を世界的に、又時間と空間を超越して、科学の世界には国境がないわけでありますから、世界的に大いに活躍させたい、といふわけで、名前も世界的なものを撰ぶ様に希望してゐました。
 「クルヴァ・グラボ・プロセス」と命名
 私は、本来非常にアンチブリチツシュの男でございまして、英語で名前を付けるなんといふことは頓でもないことであります。ドイツ語も嫌やであります。エスペラントが宜しからうといふので、予て私が懇意に願つている秋田雨雀さん、これはエスペラントを日本で最初からやつてゐられる方で、二十年近く前から存じてをります。何とか名前を付けてくれませんか、―と一日寝坊の先生を朝早く敲き起して頼みましたところ、即席に字引をひつぱるやら何かして紙に書いてくれました。それはKurba Gravoとしてはどうかといふわけで、秋田氏を名付親としたのでございます。このクルバと申しますのは、大体欧洲の言葉で、所謂曲つてゐるといふことの意味を想像し得る語であります。勿論エスペラントとしても字引にちやんとある言葉でなしにもぢつた言葉であります。それからグラヴォーといふのは、取りも直さずグラヴユヤであります。本来印刷と誰しも想像出来る言葉でございます。斯くの如く私の曲面印刷機は、ヤンキーネームでもなく、ジョンブルネームでもなく、エスペラントのクルヴァ・グラヴォーといふのです。新渡戸先生の甥御さんが、非常にフオネテイカルでいい名前だからそう命名しなさいというふことを云つて下さいましたことがございました。

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