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印刷術の発達と曲面印刷(昭和15年3月9日 於鉄道協会) その5 [箱木一郎 曲面印刷 ichiro hakogi]

 クルヴァグラヴーの門出 
クルヴァグラヴォーがこゝに生まれて来たと仮定しまして、その首途についてちよつと簡単に申上げます。私のクルヴァグラヴォーが先づ世の中に第一歩を踏み出しましたのは、先に云ひました第一回の特許局の発明展覧会に入選の光栄を得たこと、それは昭和八年でございます。それから昭和九年に、畏くも御下賜になつてをります恩賜発明励奨資金、金一千円也の御下附を仰ぐの光栄に浴したのであります。更に九年度の商工省の工業研究奨励金九千円を戴きまして、これで当時行詰つてをりました財政方面が非常に楽になりました。
  一色刷機械を六台、五色刷機械を一台取り敢ず動く程度まで造り上げたのであります。その五色刷一台といふのは、半自動的なもので、全部のシリンダーその他をニューマティツクに造つてみたのであります。存外恰好もスマートに出来ました。これは最初一九三七年開催のパリの万国博覧会へ持つて行けしないか、といふ下心があつたものですから、総てをポータブルに造り上げたのであります。当時名古屋にラボラトリーを有つてをりましたが、どうも名古屋では、気の利いた、―外の機械は別ですが―かう云つた機械の製造所がありませんでした。そこで東京深川の関機械製作所の社長さんの関義孝氏の絶大なる御好意の下に―私自らが先刻来た度々申上げますやうに機械について何等組織的な知識を有つてをらぬものでございますから、勢ひ関さんや諸専門家にお縋りするより仕方がなかつたのであります。この関氏は、謂はば私の貧弱な技術を完全なものにしてくれた非常な恩人でございます。それから其の機械が、幸に理化学研究所の辻次郎博士の御選定によつて、パリ博覧会の出品物四十二点とかの内の一つに数へられました。これは私として非常なエポツク・メーケイングなことであつたのであります。巴里出品の直前に、高島屋で発明品展覧会がありました時に、秩父宮殿下、高松宮殿下の両雨宮様の御台覧を辱くして、自ら不束ながら御説明を申上げ得ると云ふ光栄に浴したこともございます。
kurba gravo - lecture at Railway Association.JPG で、話はパリに一足飛びに飛んで、私は、職人さんを一人連れてそのオペレーションに出掛けたやうなわけでございます。其処へは世界人が観覧に来ます確か従来の博覧会の例を破つて三千六十万人の有料入場者があつたといふことであります。ただ残念なことに日本館は、例のエツフエル塔を中心としたセーヌ河に臨んだロケーションの処に極めて貧弱なところを私たちは貰ひました。最初は目抜きの本通に一応指定されたのでありますが、外務省と商工省が愚図愚図してをる間に、ノールウエイにその良い場所を奪られたのであります。とに角三千数百万人入つた内に本館に足をひいたのはその百分の一にすぎないといふ残念な状況でありました。それでも割合に専門家が私の説明を聴いてくれまして、硝子製造家、陶磁器製造業者、ペーパー・カルトン製造家と云つた人たち、この人たちで、私の機械を欲しいといふ意を洩らした人が七十五名ございました。更に私の知つてゐる、例へば、ダルムスタツトのゲーベルの社長、或はアルバートの社長、それからスウイツルのインターナショナルプリンティングマシン会社の社長或はイギリスのライヌタツプの社長、マルノニーの社長等世界のアメリカを除いて重要な人に手紙を出し、電報を発して来て貰ふやう駆り出しをやつたわけであります。唯物主義の国で、何んの風情があつて人の物を見に来る筈はないのでありますが、幸いに曲面印刷といふ機械が動いてゐるといふことが興味を惹いたと見えまして、之等重要な人が態々パリへやつて来てくれたといふことは、非常に私としては面目を施したわけでございます。
 決して自己宣伝をやつてをるわけでございませんが、序でに申上げます。科学第一部の審査についてであります。価額の全出品物は各国を通じて莫大にのぼつたわけでありますが、私のこの曲面印刷機械といふものは、ユニツクのインヴェンションとして、十三人の審査員が全部フル・マークを付けてくれたといふこと、これは後日ドイツ人の主席審査員ドクター・マーシューといふ機械の技師から聞きましたが、「君のやつは、一番簡単にグラン・プリをやらうと、云ふ事に反対なしに決まつた」と云つて居りました。その時に日本の出品物では、理化学研究所がやはり十五点お出しになつてをりましたがこれは過去に於いて産業に非常に貢献したといふので名誉的にグラン・プリーを一点お取りになりまして、都合二点、三十七年のパリ博覧会からは日本は二つのグラン・プリーを下げて帰つて来た次第でございました。因みに吾が曲面印刷は私と関さんの両名義になつてゐます。仏蘭西側も援助者の功績を認めてくれた次第です。
 クルヴァグラヴーの現況 
ずつと素ツ飛ばしまして、かく申します如く曲面印刷といひますものは、印刷史の上では一番若僧でありまして、人間の年齢で申しますとやつと小学校へ入つたか、入らぬの年齢で、これが活発に世の需要に間に合ふといふことは、木に縁つて魚を求めるの類であつて、少し御註文が無理であります。今私共は、大阪の一流の硝子メーカーと共同して新会社を起し曲面印さ鵜の準備をやつてをります。幸ひかういふ非常時状態でありながら、其硝子工場に鉄工所の立派なものがありますから、そこで機械を製造しつつあると云つた状態でありまして、実施上の結果を皆さんにまだ御報告し得ないといふことは洵に物淋しいわけでございますが、是はいまだ齢が若いから已むを得ない。かういふ弁解の弁を弄するわけであります。
 曲面印刷の応用 
ところで、鈴木主事が、勝手に表題を付けて下さいましたが、とに角「明日の使命」と云つたやうなことがありますから、その使命を若干でも申上げて、講演の題旨だけを纏めます。曲面印刷の使命といふことは、要するに応用品目を結局申上げて結論といふやうなことにいたしませう。此の印刷方法の特長は、総て形を造つてから後に、いはゆる成形後に模様を施すべき有りと凡ゆる工芸品に応用することができるのであります。その品目を申上げますといふと先づ今日の予想で一番多いのが、凡有る瓶類、殊にその内麦酒、サイダー、化粧品類の瓶、何れも年産壹千万以上あります。それから陶磁器ベークライト、ああいつた類のものは、今日はまだ加工されてありませんが、これは非常に有望な応用品目と私は想像してをります。それからセルロイド製品、紙器、―紙器と私の申しますのは、平らな紙を後で鋲で止めて形を造つたものでなしに、パルプの状態から之を成形したものを意味してうります。此の紙器につきましては、フランスのメーカーの如きは、非常に立派なペーパー・カルトンを造つてをりまして、曲面印刷の力で最後のメークアツプがしたい、早く完成してくれ―と云つてをりました。日本での瀧の川に何とか紙器会社と云ふのがありますが、其の外にはヴィスコース・パルプから直接成形した紙器はおやりになつてをらぬことが私は不思議で堪らないのです。それから、一切の所謂金属、プレスワークの品物。いろいろございますせう。アルマイトもございませう。その他琺瑯鉄器もございませう。その他等々で存外のところで応用品目がございます。ある人は、例へば、印度向けの靴下にプリントをしたいのだが、というふまアさう云つたやうな話もありますし、それからこれはちよつと可笑しい笑い話としてどうかと思ひますが、お菓子の最中なども焼判を捺してゐますが。あれを何かその筋の認める範囲の材料を使つて、その地方の風物を画き土産物などにしたらどうか、これは勿論本格的な対象として考へてをるのでありませんが、そんなことも考へてをります。
 結 論 
今日は鎌田先生をはじめ、写真の方のお方が沢山ゐらつしやいますから、特殊印刷の話はこの辺で遠慮させていただきまして結論としたいと思ひます。われわれの方で極く近代的に有名な例のライノタイプ、これは独人マーゲンターレルの発明で、それからクリストファネス・ショールスのタイプライター、かういふ風に人類に貢献している発明も、却却その発明は、そのヒントを得た者一人の手やなんかでは決して完成したものではありません。殊に私如き、先刻来、何回も申上げましたやうに非科学者である者の、発明が到底自分一人の手に負へるといふことは毛頭想像し得ないのであります。今後もますますその道の諸先輩の後後援を得て、棘多き茨の道を目的に向かつて邁進したいと存じてをるのであります。大変まづい講演を御清聴頂きまして心から感謝致す次第でございます。
                                  (拍手)

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