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印刷術の発達と曲面印刷(昭和15年3月9日 於鉄道協会) その3 [記録]

その3
  平面印刷より曲面印刷への中間的発明 
何れに致しましても、偶然に発明といふものは決して成し遂げられるものではありません。所謂必要がそこになければならぬのであります。ところが、必要であるといふことが判つてゐながら、一足飛びに、所謂目的の彼岸に達するといふことは不可能であります。そこにステップ・バイ・ステップとでも申しませうか、現れました中間的発明と申しますのは、取りも直さずこれは転写紙のことでございます。
 話が変わりまして、十八世紀の半頃イギリスに於いて例の産業革命が起り、凡ての産業部門は手工から機械化へと転向致してまゐりました。此の波に、マンチェスターの陶磁器業者も勢ひ否でも応でも乗せられなければならなかつたのでございますが、そこにマンチェスターの住人にジョン・サドラーといふ人がございまして、その人は、子供の写し絵、われわれの子供の自分に能く見ましたが、写し絵からヒントを得まして、陶磁器に向くところの転写紙の発明に志したのでございます。彼はその方面において純粋の専門家でなかつたと見えまして印刷業技術者のゲー・グリンといふ人の援助を得まして、遂に一七五六年七月二十七日付を以ってイギリスの特許を得てをります。
 ご承知のとおり転写紙といふものは、例へば、かういふ器物(水呑)に、本来は印刷をしてみたいのでございますが、印刷する技術がない。已むを得ず平らに刷つて紙を部分的に貼り付けて絵を写し、さうして水洗いして紙を離脱する方法でございます。勿論kの研究は、日本でもサドラーの発明の百五十年も経つてから明治二十一年頃に、ある貿易商の手を通じて、名古屋の瀧藤商店といふのに見本がまゐつたのに始まりました。ところが、日本の印刷界は今日に於いてこそ世界の三大業国と謂はれる程に発達してをりますが、日清戦争以前の状態は、恐らく貧弱であつたと存じます。ただ、イギリス辺りからまゐりました転写紙を応用した陶磁器製品を見て、名古屋の言葉で申しますと、「勘考がにやあい」というふの外なたつたのであります。
 然るに日清の役は起り、戦勝国日本の名前は海外に喧伝されるに至りました。そこで従来のいはゆる画家が袴を穿いて端座して几帳面に筆をはしらせて描いてをつたんでは迚も需要に応じ得ない。何とかして之を真似たい、真似たいといふ希望から、岐阜県多治見の人に小栗国次郎といふ方がありまして、この人が東京に何回も足を運んだといふことでございますが、やつとの事で、明治三十三年頃転写紙をどうにかかうにか真似できるやうになつたといふことでございます。一寸申し忘れましたが、転写紙の発明によつてどの位加工能率が挙つたかといひますと、一人六時間に千二百箇の器物に模様付加工をなし得るやうになりました。これは筆で描いてゐる場合には、約百人の人の同じく六時間の仕事に相当するといふことです。これはイギリスの本に出てをりますが、如何に転写紙といふものが、中間的役割を果たしたかといふことは想像に余りあるんでございます。然し今申上げます転写紙といふものは、恐らく、でなく事実その最初の発明といふものあh、凹版によるところの一色印刷であつたのでありますが、さつき申上げましたセネフエルデルの発明があつて、平版といふものが印刷界に多彩を添えた後は、これが多方面の印刷に応用され、今日では転写紙といふものは、平版術による転写紙でございます。かういふことは私の専門外で、皆さんから聞いたことばかりを請売りをしてをつて大変申訳ありませんが、そこで愈々曲面印刷について申上げます。
  曲面印刷の揺籃時代 
私自ら曲面印刷を研究し始めたのは大正の末頃でございました。当時私は印刷業に志して出版のお手伝ひをしながら、同時に自ら下谷で生命社といふ小つぽけな活版所の自家経営を致しました。ところが、洵に平凡で、東京には御承知の大印刷会社がございまして、到底われわれが何百年かゝつても追い付けさうもない。これでは仕方がないといふので、東京高等工芸学校にしよつちゆう参りまして、鎌田先生、伊東先生の御指導を寛大なる御処置によつて、実験室を我がもの顔に使はせていただいたのでございます。当時の記憶を甦しますといふと、ロシアの夫人でブブノヴァといふ白系の人がございました。この人と私とを伊東先生が評して、君等二人は「名誉学生だ」と云はれたことを記憶いたしてゐます。
 余談は措きまして、その曲面印刷の最初に世間に発表されたのは、一八八八年十月一日付でドイツ人の某が弾性質の版を利用して、曲がつた面に印刷をする方法といふ特許を取つてをります。それ以降五件ございまして、勿論これは私自らドイツやイギリスにさういふ研究が始まつてゐるといふことは毛頭知る由もなかつたのであります。自らの発明を外国に出願して見ようといふので、東京にある弁理士のお方に依頼いたしまして、類似系統のものがあるかどうかを知るために、印刷に関する方法、殊に方法を中心とした凡有るスペシフィケーションを取り寄せて貰つたのであります。集まりましたのは六件ありました。話がいろいろとジツクザツクなつてお聴き辛いでございませうが、私先年パリへ参りました際にベルリンに行きました。恰度出願中であつたものでございますから、ドイツの審査官に会つて、早く許可したらだおうか―と膝詰談判をやつたのでございます。その時に向こうの審査官が手許に持つてをりました、いはゆる公知材料、即ち拒絶材料として持つてゐるものを見ますると、自分の持つてをつたのと非常に似てゐる。克明に似てゐる。「どうもお前の持つてゐるのと俺の持つてゐるのと同じ様だが俺は日本で蒐めたのだが、俺の出した特許の出願に拒絶の材料が在るか、」その時に克明に番号を合わせて行くと、私の持つてゐるのと総てが同じでございまして、六件しかないといふことが確実に判りました。その時の審査官の顔付は、関西の言葉で所謂“よう云はんわ”といふ言葉そつくりでございました。
 人類の抱懐してゐる思想といふものは、これはどの人種でも大体同じ事を考へてゐるものと見えて、例へば何と申しますか、人間の考える思想は大体同じであつて、然もそも同じ思想が―その表現の形式が勿論違ふでせうが、―或は伝説となつたり、迷信となつたり、いろいろな形式で、時と所とを全然超越して全く同じやうな表現がされるものであります。況や此の科学の世界に於いて、同一の目的物、例へば、玆に曲面へ印刷をしてみたいというふ希望に対して、その過程とか結論とはいふものが同じで有り得るといふことは、これは当然のことと存じますが、これは私はハツキリ申上げますが、決して他のものを参考としたわけのものではないのであります。私自身は初めから自信をもつてやつてみました。ただ曲面に印刷してみようといふ考えが向うにもあつたといふに過ぎないのであります。
 玆に述べたいのは、私のやりました曲面印刷と欧洲人の玄人の研究者のやりましたものとはプロセスにおいて完全に違つてをつて、私が完全に優秀なものであつたといふことは自負心をもつて云ひ得ると存じます。
 何れその事は後から申上げたいと存じますがさつき申上げました六件の特許のほかに、米国のソラー・ラボラトリー、同じく米国のアニグラフヰツク・コーポレーション、フランスのデュヴヰといふ会社、イギリスのストウク・オン・トレントといふ地方の名前でございますが、其処に陶磁器を中心とした研究会社があるというふことでございました。そのソラー・ラボラトリーと私とは非常に因縁がつきまして、今日先方でも私の発明のいはゆる社会性化することを期待してくれてゐるのであります。

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