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昭和2年の新聞記事より [記録]

昭和 2年の新聞記事
苦心、鉛版に代はるガラス凸版の発明 新時代の大量印刷を志して 箱木一郎君の旗あげ

レンズを通してのガラス凸版がある無名の一青年によつて発明され将来の印刷工業界に一転期を来すかもしれないといふので印刷界各方面に多大のショツクを与えてゐる、発明者は市外西大久保四七〇箱木一郎君といひ今年三十二歳
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現在の印刷は活字といはず写真といはずすべて必ず一度は紙型(しけい)を通して鉛版にするのであるがこの鉛版は硬度が至つて低く精々三、四万回転でするとその表面は著しく磨滅し印刷の不鮮明を免れない、従つて今日の如く数十万、数百万といふ大量印刷の時代にあつてはその間数回乃至十数回鉛版を取り代へる必要がありこの手数と煩はしさとを避けやうといふのがこのガラス凸版
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ガラスの硬度は鉛に比して三倍以上で少なくとも五、六万回転の使用に堪へ得るといふのであるがガラス凸版の効力はそれだけに止まらず紙型を要さないで写真から直ちにガラス板に焼きつけることになるのでこれは印刷技術の上においても非常な発明であるといふ
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勿論これを今直ちに印刷用に供するとすればいろいろ不便を生ずるであらうが少なくとも数十万の印刷に唯一回のガラス版で済む事となり、紙型を用ひない点で手数をはぶく事が出来るといふ事は何といつてもこの発明の一大特徴で将来完成の暁は印刷工業界に偉大な貢献をなすものである
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箱木君は方面違ひの神戸関西学院の社会学科を大正十年に卒業、上京して印刷界に入り一時は下谷入谷町に小さい印刷工場を経営してゐたがその中に書物の形態方面に興味を持ちネオクロスといふ一枚背布を発明したこともあるといふ、かねて知合ひの東京高等工芸学校の写真化学科の教授伊藤亮次氏に相談して種々研究を重ね教授の指導を得てつひに今日の発明を遂げたものであると
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右について印刷局印刷課長矢野道也博士は語る『この間芝浦の高等工芸学校へ行つた時一寸実物を見ましたがあれを実際の印刷用に供する場合に若しゴミ等が版面に入つた場合に版を壊すことにならないかと思ふ、それが鉛版であると中へ食い込んでしまふ、しかし印刷技術の校庭が省ける点やガラス版といふ思ひ付は面白い』

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